大阪高等裁判所 平成6年(行コ)42号 判決 1995年7月28日
控訴人
林敏夫
外三名
控訴人四名訴訟代理人弁護士
川本権祐
玉生靖人
辻武司
被控訴人
文部大臣
与謝野馨
右指定代理人
中牟田博章
外四名
主文
一 原判決を取り消す。
二 兵庫県伊丹市緑ケ丘四丁目一八番畑一八三四平方メートルを含む二四筆の土地につき伊丹廃寺跡として史跡に指定する旨の文化財保護委員会の昭和四一年三月二二日付処分(同年文化財保護委員会告示第一五号)は、右一八番の土地に関する関係で、無効であることを確認する。
三 訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。
事実及び争点
第一 申立て
一 原判決を取り消す。
二 (主位的) 主文二項同旨
三 (予備的) 主文二項記載の史跡指定処分を解除すべき旨の控訴人らの申請に対し、被控訴人が何らの判定をしないのは違法であることを確認する。
第二 争いのない事実等
一 兵庫県伊丹市緑ケ丘四丁目一八番畑一八三四平方メートルの土地(以下「本件土地」という。)は、もと、林寛治が所有していた。同人は昭和四〇年一月一四日死亡し、控訴人敏夫と林テイとが本件土地を持分二分の一宛相続し、同年一二月一〇日その旨の所有権移転登記がされた。林テイは右持分を控訴人ら四名に八分の一宛を遺贈して昭和四四年一月一一日死亡し、同年三月八日その旨の持分移転登記がされた(甲五号証の3、乙二二号証)。
二 文化財保護委員会委員長名義で、昭和四一年三月二二日付官報で、本件土地を含む二四筆の土地につき、昭和四三年六月一五日法律第九九号による改正前の文化財保護法(以下「文化財保護法」という)六九条一項に基づき「伊丹廃寺跡」として史跡に指定する旨の告示(同年文化財保護委員会告示第一五号)がされた(以下「本件官報告示」という。)。
三 昭和四一年七月一九日付官報の正誤の項目に右告示の「兵庫県伊丹市緑ケ丘四丁目一八番」が誤りで、「兵庫県伊丹市緑ケ丘四丁目一六番、一八番、二一番、二二番、二三番、二五番、二六番、二七番」が正しい旨の掲載がされた(以下「本件官報訂正」という。)。
四 昭和四三年六月一五日法律第九九号附則三項、同法による改正後の文化財保護法六九条一項により、文化財保護委員会のした史跡指定処分は、被控訴人がした処分とみなされることになった。
五 控訴人らは、昭和六二年八月七日付で、被控訴人に対し、本件土地について本件指定処分の解除申請をした。
第三 争点
一 本件指定処分は無効か。
控訴人らは、本件指定処分の無効事由として、次のとおり主張する。
1 文化財保護委員会は本件土地を具体的に特定した史跡指定の決定をしていない。
(控訴人らの主張)
文化財保護委員会は、昭和四〇年三月二六日開催の委員会で、伊丹廃寺跡を史跡に指定するとの決定をしたものの、史跡指定の対象となる土地の具体的特定は一切していない。右委員会決定後、文化財保護委員会事務局と伊丹市・兵庫県の職員との間の協議・調整により、対象土地の具体的特定がされた結果、昭和四一年三月二二日付けの本件官報告示がされたが、文化財保護委員会は、その間に委員会を開催せず、史跡に指定すべき対象土地の具体的特定について何らの決定をしていない。したがって、同委員会の本件土地を史跡に指定する旨の意思決定ないままで、本件官報告示がされたものである。
(被控訴人の主張)
昭和四〇年の右委員会決定から本件官報告示までの間に、史跡に指定すべき対象土地の地番を特定することのみを目的とする文化財専門審議会への諮問・審議会の答申・文化財保護委員会の決定という手続はなかった。しかし、本件指定処分がされてから三〇年弱経過した現在、明確な証拠は存在しないものの、最終的に、本件官報告示で史跡の範囲について地番を特定する形で外部的に表示されているのであるから、その前提として、文化財保護委員会の内部部局である事務局が伊丹市や兵庫県の職員との間で協議・調整するという経緯を経て史跡指定の対象土地を具体的に地番で特定し、その作業を受けて、文化財保護委員会が、本件指定処分の対象土地の具体的範囲を地番で特定する形で決定したという手続過程が当然に存在したと推認すべきである。
2 本件指定処分は、本件土地の共有者の控訴人敏夫と林テイとに通知されていない。
(控訴人らの主張)
史跡指定処分は、土地所有者等の権利を制限するものであるから、文化財保護法六九条三項の指定処分通知は書面によるべきである。当時の本件土地共有者の控訴人敏夫と林テイとに対してはそのような通知はされていない。
(被控訴人の主張)
文化財保護法は、六九条三項の史跡指定処分の通知について、文書形式の要否等の具体的な方法については何ら規定していない。史跡指定処分による権利制限は、将来において具体的な権利の行使が制限される可能性があるというものに過ぎないから、史跡指定処分の通知は、文書によることを要せず、口頭による通知その他便宜の方法によることでもよい。伊丹市教育委員会の柳係長らは、本件指定処分の通知書を持参して林テイ宅を訪問し、林テイに本件土地について本件指定処分がされた旨説明して、通知書を交付しようとしたが、林テイにその受取を拒否されたので、控訴人敏夫に本件指定処分があった旨を伝えるように依頼して帰った。林テイと控訴人とは、親子であり、本件指定処分の直前まで同居していたから、控訴人敏夫は、少なくとも本件指定処分を了知可能な状態にあり、控訴人敏夫に対しても右通知があったというべきである。また、伊丹市教育委員会は、後日、控訴人敏夫に本件指定処分の通知書を郵送した。
3 伊丹廃寺跡の中心伽藍跡地の土地は、本件指定処分の対象土地となっていない。
4 伊丹廃寺跡の中心伽藍跡地以外の土地に対する本件指定処分は、裁量権の逸脱又は権限濫用により無効である。
二 本件指定処分に無効とされる瑕疵があっても、本件指定処分を基礎として新たな事実上・法律上の関係が形成されており、法的安定性、公益的見地から、控訴人はその無効を主張できないか。
三 本件指定処分の解除申請に対する不作為違法確認請求は適法か。
理由
一 文化財保護委員会の本件土地に対する文化財保護法六九条の決定の有無
乙二号証、四、五号証、七ないし九号証、一〇・一一号証の各1・2及び弁論の全趣旨によると、次のとおり認められる。
1 伊丹市長は、昭和四〇年二月二三日、伊丹市緑ケ丘四丁目二二番、二三番、二五ないし二七番の土地を伊丹廃寺跡として史跡に指定されたい旨の申請書(乙一〇号証の1・2)を、右五筆の実測図等を添付し、兵庫県教育長を経由して提出し、文化財保護委員会はこれを同月二七日に受け付けた。
2 文化財保護委員会委員長は、同年三月一九日、昭和三九年諮問第一五号をもって、文化財専門審議会に対し、伊丹廃寺跡の史跡指定について諮問した。しかし、その諮問書(乙七号証)には、伊丹廃寺の所在として、兵庫県伊丹市緑ケ丘四丁目と記載されているだけであって、史跡に指定すべき土地の地番や範囲は記載されていなかった。
3 伊丹市長は、昭和四〇年三月一九日、史跡指定申請の追加書類として、本件土地等四三筆の地目・面積・所有者などを記載した地籍調書やその所在場所を記載した地図など(乙一一号証の1・2)を、兵庫県教育長を経由して送付し、文化財保護委員会はこれを同月二四日受け付けた。
4 同月二四日、文化財専門審議会は、「伊丹廃寺跡の史跡指定について原案のとおり議決した。」と答申した。しかし、その議決答申書(乙八号証)には、史跡に指定すべき土地の地番や範囲は記載されていなかった。
5 文化財保護委員会は、五人の委員をもって、同月二六日、右4の「文化財専門審議会の答申がありましたので、答申のとおり決定」する旨を原議書による書面決裁の方式で決定した(以下「昭和四〇年委員会決定」という。)。しかし、その原議書(乙九号証)には、伊丹廃寺跡史跡に指定すべき土地の地番や範囲は記載されていなかった。
6 昭和四〇年委員会決定後、本件指定処分の対象土地の具体的特定のため、文化財保護委員会事務局と伊丹市・兵庫県の職員との間で協議・調整がされた。
7 その後、昭和四一年三月二二日付で本件官報告示がされ、同年七月一九日付で本件官報訂正がされた。
8 文化財保護委員会の事務を引き継いだ文部省には、右1の申請書、右2の諮問書、右3の送付書類、右4の議決答申書、右5の原議書は、現在でも保管されているが、土地の地番範囲を明確にしてそれを史跡に指定する旨の本件官報告示、本件官報訂正に見合う決定を文化財保護委員会がしたことを示す会議記録、原議書、議決書、決定書などの書類は残されていない。
9 控訴人は、原審平成三年一二月九日の口頭弁論期日に、求釈明申立書を陳述したが、その求釈明事項1には、「(右3の諮問、右4の答申、右5の決定の後本件)官報告示までの間に、本件土地を含む二四筆の土地を史跡指定の対象とすることに関する諮問、答申、委員会決定がなされたことがあるか。」との記載があった。
被控訴人は、原審平成四年二月五日の口頭弁論期日に第八準備書面を陳述し、「右の期間(昭和四〇年委員会決定以降本件官報告示まで)内においては、委員会事務局が史跡指定の具体的な対象範囲の協議・調整を行っていたのであるが、委員会が対象地地番を特定することのみを目的とする内部的な決定をしたことを示す記録は存在しない。したがって、求釈明事項1のような諮問、答申、委員会決定はない。」と釈明した。その後当審では、前記争点欄記載のとおりの主張をしている。
本件全証拠を検討しても、文化財保護委員会が伊丹廃寺跡につき土地の範囲を特定して史跡指定を決定したことは、認められない。
文化財保護委員会の事務を引き継いだ文部省には、法律により必要とされる手続きではない関係の書類(右1の申請書や右3の送付書類)や同法六九条の処分そのものを示すものでない書類(右2の諮問書、右4の議決答申書、右5の原議書)は、現在でも保管されているのに、本件官報公告に見合うような土地の地番範囲を明確にして史跡に指定する決定を五人の文化財保護委員で構成される文化財保護委員会がしたことを示す会議記録、原議書、議決書、決定書などの書類は残されていない。いうまでもなく、文化財保護法六九条の史跡指定処分は、個々的な土地に対して権利制限を加える性格のものであって、両議院の同意を得て選ばれた、文化に関し高い識見を有する文化財保護委員によって、個々的な土地毎に、記念物としての重要性と所有権や他の公益を考慮しつつ、その広い裁量権を行使してなされるべきもの(同法八条、九条、六九条、七〇条の二)であって、一連の手続きにおいて最も重要なものであるから、文化財保護委員会による決定が真になされているとすれば、それに関する書類は他の右1ないし5の書類に優先して保管されているべきはずである。文化財保護委員会や文部省において、同法六九条の決定に関する書類をこれに関する他の一連の書類に優先してまず廃棄するような慣行があったとか、右決定関係書類が実際は存在していたが廃棄されたとかの証拠はない。そうすると、本件土地については、これを史跡に指定する旨の文化財保護法六九条の決定は、五人の文化財保護委員によって構成される委員会ではなされていないと認めるのが相当である。
被控訴人は、本件官報告示で史跡の範囲について地番を特定する形で外部的に表示されているのであるから、その前提として、文化財保護委員会が、本件指定処分の対象土地の具体的範囲を地番で特定する形で決定したという手続過程が当然存在したと推認すべきであると主張する。前記のとおり本件指定処分の対象土地の具体的特定のため、文化財保護委員会事務局と伊丹市・兵庫県の職員との間で協議・調整がされていたことからすると、この告示は文化財保護委員会事務局の意思によるものとは推認できるが、前記事情を考慮すると、五人の文化財保護委員による決定がされたとまでは推認できない。なお、文化財保護委員会が同法六九条の決定を事務局に委任した証拠もない。(もっともこのような委任ができるかには問題があろうが。)
二 本件史跡指定処分の効力
文化財保護委員会は、昭和四〇年委員会決定で、「兵庫県伊丹市緑ケ丘四丁目所在の伊丹廃寺跡」を史跡に指定する旨決したが、これは対象土地が特定されていないから同法六九条の決定とはならない。
その後、内部的には、事務局と伊丹市・兵庫県の職員との間の協議・調整により、対象土地の具体的範囲の特定がされたものの、対象土地の範囲を特定した文化財保護委員会の史跡指定の決定のないまま、本件官報告示により本件指定処分が告示されたもので、文化財保護委員会委員長名義の本件官報告示により、文化財保護委員会が、本件土地を史跡に指定する旨の本件指定処分をした外観が存在するものの、文化財保護委員会は、その外観に即応する本件土地を史跡に指定する旨の同法六九条の決定はしていないことになる。
そうすると、本件土地に対する史跡指定処分は、権限者の文化財保護委員会によって決定されておらず、この瑕疵は処分の根幹を欠く極めて重大なものであって処分は不存在ともいうべきであるから、当然に無効というべきである。
三 控訴人らによる無効主張の許否
被控訴人は、本件指定処分以来、現状変更の制限、伊丹市の民有地の国庫補助による買収・史跡としての整備・管理・公園としての公開が二八年にわたって行われており、史跡指定地内の民有地に対する固定資産税の非課税措置も行われており、控訴人らも昭和四七年頃右固定資産税の非課税申請をして現在に至っており、法的安定性、公益的見地から、控訴人が本件指定処分の無効を主張できない旨主張する。
しかし、行政事件訴訟法三八条は、無効等確認訴訟に、同法三一条を準用していないし、主張の事情(控訴人らが固定資産税の非課税申請をしたとの証拠はない。)があっても控訴人らの無効の主張が許されないものとも解されない。被控訴人として本件土地に史跡指定が必要であれば、改めて正当な手続きを経て処分を行うべきものである。
四 結論
前記争点2の本件指定処分の通知が控訴人敏夫にされたことについては、疑問のあるところであるが、前記理由により本件指定処分は既に無効であるから、これらその余の争点については判断を省略することとする。
よって、本件史跡指定処分無効確認の主位的請求を棄却した原判決を取り消して、この請求を認容することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民訴法九六条、八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官井関正裕 裁判官河田貢 裁判官高田泰治)